邪神記・第三章
第三章 殲滅 −メギド−
古より継がれた土地の名前は、その地を加護する役割を担っている。
だがその名が、時とともに歪められ、忘れられ、変えられていく。
古の名前を思いだし、口々に唱えよ。
さすれば、ふたたび地霊の加護が得られる。
人間界でいう北方領土のひとつ、千島列島最大の島、択捉島。
煉獄界で穢都呂府とよばれる地に、巨大で、邪悪な要塞神殿が築きあげられていた。
全容は、ピラミッド型の高い塔形だったが、回りに幾つもの塔堂が立ち、塔と塔を回廊が繋ぎ、城郭のようになっていた。
塔には細かい細工が施されているように見えるが、近づいて見る者があれば、ひとつひとつが苦しみ悶える人の顔であると判るだろう。それも、生きているのだ。
要塞神殿は、生け贄として連れてこられた色人たちによって昼間は築かれ、夜は、冥獄界の獣人によって築かれたのだ。
色人は、ひとつ石を積み上げるごとに、生気を吸われ、ついには要塞に喰われてその一部分となった。
壁に塗りこめられて同化し、醜悪なレリーフと化したのだ。
近づけば、壁も、床も、天井もうねうねと身悶えているのが判った。
風の音かと耳を澄ませれば、それがすすり泣きであることを知るだろう。傷つければ、血が流れ、苦痛の悲鳴が連動してわきおこるのだ。
人々の恨みと、哀しみと、苦痛と、憎悪と、恐怖を充満させて、メギドの要塞神殿は生きているのだ。
やがて要塞が完成した時には、生け贄となった人々の生御霊が、うす黄色い怪光を放ち、要塞全体を闇の中でも浮かびあがらせていた。
周囲を、夜光虫のように飛び交う魂もある。
比類なき邪悪さである。
その、近づくものすべてを、悲しみと、毒気で殺す邪悪な要塞の最奥に、ミワが宮居を構えていた。
生きている肉体と思念によって鎧われ、まさに臓腑のごとく蠢いている要塞の内部、迷路のように入り組んだ黒曜石の回廊を渡ってようやく行き着ける、奥津城である。
さらに、ミワの宮居へ入るには、天井から幾重にも垂れ下がった絹の帳をかきわけなければならなかった。
どういう意味があるのか、ミワは、メギドにこの奥津城に斎き祭られるや、すぐさま、蜘蛛が糸を張り巡らせて巣をつくるように、うす絹を張り巡らせたのだ。
「忌々しい布切れだ」
メギドは、行く手を遮っている絹の帳を払い除けて歩かねばならず、その度に、口の中でちいさく舌打ちをした。
付き従うギザは、メギドを見失うまいと必死である。
魚のように青ざめて、冷酷な表情のメギドは、気にいらない部下を処刑することなど、なんとも思っていないのだ。
やがて二人は、床に敷き詰められた黒曜石に、いつしか、網の目のように亀裂が生じ、はるかな地の底から青白い光が差している場所へと出るのだ。
他にも、天井に十二の惑星が浮かびあがり、両側の壁には、複数の動物を融合させたとおぼしき異形の怪物が、顕われていた。
これらのすべては、ミワが奥津城へと足を踏み入れた時に起こった不思議であり、亀裂の光は、冥獄界から差すものだった。
怪光が照らす黒曜石の広間。
絹の帳を一際厳重に張り巡らせた奥津城では、台座に敷き詰めた毛皮の上にミワが身を横たえ、人間界から攫ってきた少女に酌をさせ、近づいてくるメギドとギザを、透視ていた。
裾の割れた長衣から、腿のあたりまで露になった足元には、ウズメが跪き、花汁で爪を染めている。
ほどなく、メギドは、従者であるギザを残し、最後の一枚を奪い去るかのように、帳を押し開いた。
「これは、ミワ神。お寛ぎのところをお邪魔してしまいましたかな?」
瞼の閉じない眼で、メギドが酌をする少女の方を見た。
彼女はビクッと戦いて立ちあがり、帳の影に走り込んで行った。
ミワは、逃げた少女を呼び戻すこともなく、觚を片手に、メギドに微笑をくれてやった。
それだけで、メギドは図に乗り、ミワが横たわる台座の方へと近づいてきた。
露骨に嫌悪を表わしたウズメも、主人であるミワが黙っているのでしかたなく、メギドに場所を譲り渡した。
「このような奥津城へ、いかな用があってのことか?メギドどの」
冷たい口調のミワだが、それでも上体を起きあがらせ、台座の背凭れに撓垂れ掛からせると、拝跪いた青黒い男を流し目で見た。
身体を動かした拍子に、長衣の裾が開き、ミワの白い足は、いっそう際どい辺りまでむき出され、誘っているかのようになった。
「これはいつもながらの連れないお言葉」
眼にしている光景に、満足と、欲望を感じながら、メギドは、ひび割れた口唇で、にやりと笑った。
「こちらへ向ってくるサクヤ神の雷光を捉えましてな、ご報告がてら、ご機嫌をうかがいに…」
メギドの、勿体ぶった調子の声音には、錆びついた金属が放つ軋み音が混じっている。冥獄界よりミワを召喚する儀式で、噴きあがった硫黄の煙に口唇を焼かれ、喉をやられたためだった。
だが今もってメギドは、ミワを召喚した時の感激を忘れられずにいた。
これほど美しい神を、手に入れられるとは思わなかったのだ。
今も、ほとんど半裸にちかい姿で毛皮の上に身を投げ出したミワを見ていると、メギドは自制を失いかけるのだ。
「白い御足だ……」
ついにメギドは、熱に浮かされた喘ぎ声を漏らし、蹲ったままミワの足先へと口付け、敬いと恭順とを表した。
背後にいるウズメが睨むのを感じるが、メギドは、邪眼の視線などものともせずに、さらに、欲望に従った。
ミワの爪先に口付けを繰り返し、足指と足指の間に差し入れた舌で、舐ったのだ。
「ん……」と、ミワが、首筋を反らせた。
「何時になれば…、わが想い、適えていただけるので?」
染められたばかりの爪と、形の美い足指の一本一本をしゃぶるようにしながら、メギドが、浮かされた声を洩らした。
「ぁ…あ……」
応えられずに身悶えるミワから、都合よく解釈したメギドが、指先を身体に這わせて、さらになぞりあげ、ついには、割れた長衣の裾から腕を侵入させていく。
「メ…メギド……」
羞じらいゆえか、微かに抵抗をみせたが、メギドの欲望の前に、あられもなく広げさせられ、ミワはすべてを晒けださせられていた。
「おぉ…、お美しいミワさま。この尊いお身体を、どれほど夢想したことか……」
メギドが、獣のように呻きをあげた。
男の命に触れられた瞬間、ミワは細い顎を仰のかせたかと思うと、赫い花びらが咲いたように、濡れた口唇をひらかせた。
反応に気をよくしながら、メギドは、尊い形を指先でなぞりあげ、愛撫するかのように、擦った。
だが、ざらついた青人の指が、先端を弄ぼうとする寸前に、ミワは腰を退き、覚めた眼で、メギドを睨めつけた。
「すべては、われの願いを適えてから」
感じていたように見えたのは、メギドの錯覚だったのか。
「うう…む、なんと−−…」
恨むような呻きをあげたメギドに向かい、ミワの声音には冴々とした響きが混じっていた。
「われらは、契約と絶対なる忠誠によってうごく」
ひび割れたメギドの口唇が、にやりと笑った。
「古来より、神とは、そういうものだというのを忘れていましたよ」
諦めて立ちあがったメギドは、この時初めて、ここへ来た本当の目的を思い出したとでもいいたげに、帳の影に身を潜めているギザを呼んだ。
「ギザ、これへ」
すかさず入ってきた青人のギザは、両手で捧げ持ったガラスの球を、メギドの元へ運んで、恭しく差し出した。
手渡してしまうと、すぐさま後退り、ふたたび帳の影へ引き下がっていった。
眼は、伏せたままだった。
ミワを見てしまうことの恐ろしさを、承知しているギザだった。
「これを、昨日、産み落としましたもので……」
メギドは、球の中で蠢くものを、ミワに見えるように掲げた。
水泡状のぶよぶよした半身に、異様なまでに長い三本の指を持つ腕、頭部は鰐に似た醜い怪物が、ガラス球の中に入っていた。
心の裡に芽生えさせた醜い感情を、メギドは怪物の姿に顕す呪法を習得しており、それによって産み出された幻邪獣だった。
「これは、……美しい」
うっとりとした声を洩らして、ミワはメギドの手からガラス球を受けとった。
褒められていることが判ったのか、ガラスの中で、ワニもどきが膠質な身体をうねらせて、反応した。
メギドは去り際に、長いミワの黒髪の一房を指にからみつけ、くちづけする仕種で念を押した。
「これだけ焦らされたのだ。成就のあかつきには、いよいよ、お覚悟されよ、ミワ様…」
召喚した異世界の神、ミワに、期待したほどの力がないと知ったメギドは、すぐさまサクヤと、イブキの兄弟神をも喚びだし、今度はその邪悪な力に歓喜の声をあげた。
同時に、非力だが、美しく官能的な神、ミワには畏敬の念を失いつつあり、いつか、自分が奪い、思うがままに凌辱して、さらに従わせるのだという侮りが生じた。
それは、ミワの肌に触れ、指で確かめて感じとってもいた。
ミワの肉体が、−−メギドによって指を這わせられる度に、さらなる愛撫を欲し、淫らに疼いているのが判るからだ。
触れなば落ちなんという脆さなのだが、あまりに高貴で、高慢すぎるが故に、いままで、誰もがその甘美を与えてやれなかったのだ。
そして、相応しく、資格があるのは自分だけだと、青人メギドは思っているのだ。
「ミワさま。なぜメギドなどに、あのような振る舞いをお許しになられるのですっ」
メギドが去ってのち、我慢しきれなくなったウズメが開口一番、嫌悪の声をあげた。
足先に触れるのも畏れ多いと、ミワを敬い続けるウズメには、許し難い冒涜なのだ。
「あの男には、まだ使い道がある」
ミワの赫い口唇の端が、つりあがって、微笑とも、憎悪に歪んだともつかない形になった。
「憎悪に満ちた穢らわしき生き物を見たか?ウズメ。われにはまだ、あの男の裡に巣くう禍々しい気が必要なのじゃ……」
そうは言うものの、次には、こみあがってくる嫌悪にミワは身悶えを放っていた。
「ウズメッ、蓬莱へいく、あの男に触れられたわが身、潔めねばならぬ……」
「はッ」
畏まり、ウズメは跪いた。
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