邪神記・第四章
第四章 なぶさ
さらに数日も経て、刀匠の元より、北極星の霊気によって鍛えられた砕星刀が届けられてくると、意気消沈といったアケボシは、気分的に復活した。
断てぬものがないという意味から、惑星をも砕く『砕星刀』と名付けられた剣は、両刃の長さが、握り拳で十個分、柄の部分には、青白い北極星が宿っているのだった。
手にとってみると、柄の北極星が、アケボシに反応するかに輝いた。
「うわあ、さすがはアケボシ様。お名前通りに、星の加護を受けておられるのですね」
覗き込んでいたラビが、感嘆して言った。
名前通りであるならば、アケボシは、明星であり、金星のことだ。
金星は、こちらの世界では太白星と呼ばれている。だが、アケボシは守護刀に、より強い霊力を有する北極星から力を授けて貰ったのだ。
「三世界の宇宙を支配する神のシンボルは、太陽、月、星です。イセ様はその太陽の力を授かるはずのお方なのです…」
「授かるはずのお方」と、罪を背負って産まれたが故に、イセは言われなければならないのだ。
「なあ、ラビ。俺が星で、イセが太陽なら、月は誰だ?」
「月は…−−」
ラビの歯切れが悪くなり、物言いが不確かなものにかわった。
「おそらく月は、崩御されたミカドの象徴ではないかと思います…」
月の輝きは、太陽の光をうけてのものなのだ。故に、月の光は生きている光ではない。
冥獄界のスサに殺されても、未だに、八方守護神像の内部で、この国を守っている鎧姿のミカドを顕しているのか……。
「ミカドが殺されて、三つのシンボル的存在が揃わなくなったんだな…」
「はい…、ですから、我々は冥獄界との戦いにおいての強力な戦力を失ったも同然なんです」
「つまり、月、太陽、星の兵器があるとするな、一つは使用不能で、一つは欠陥品、そしてもう一つは、整備不良ってわけだ」
あまりに乱暴なアケボシの譬えに、ラビは驚き、目を見張った。
「そんなぁ、アケボシ様、お言葉が過ぎます…」
「なに言ってんだ、現実を言っただけだぜ。けどな、整備不良も、欠陥品も、直せば使えるのさ、前向きに考えようぜ」
自分に対しても気合いを入れるかのように、アケボシは、砕星刀を振り翳してみせた。
「軽いな」
なんとも軽かった。
掌にしっくりと馴染み、まるで、己が腕のような錯覚にすらとらわれる。
「それはよかった」
ちょうど、廊下を渡ってきたイセが聞きつけて、言った。
「守護刀を重いと感じるのは、その剣を持つ資格がないということなのだから…」
イセは背後に佐具女を控えさせて部屋に入ってくると、アケボシの前に腰を下ろした。
「サグメが、邪悪な気が蓬莱山に集まっていると言うのだ」
「アケボシ様。蓬莱山は、人間界では富士山と呼ばれ、篤い信仰をあつめる霊山です。それゆえにひとつの結界でもあるのです。同時にかの山は、煉獄界と人間界とをつなぐ錠前とも言うべき山。もしも、冥獄界の輩に蹂躙され豊湶岳のようなことになったら、人間界の富士にも累を及ぼすでしょう」
「富士山が噴火するって言うのか?」
秋人と話したことが思い出されて、アケボシに胸騒ぎがしていた。
三〇〇年分のエネルギーを放出する大噴火となれば、東京も無事では済まないだろう。だが、続いてサグメが告げたのは、さらに最悪の事態だった。
「はい。さらに蓬莱山が噴火すれば、豊葦原瑞穂国の地下を通っている大断層にも影響が出るでしょう。そうすれば、この国は中央から二つに割れてしまい、封印門が開いてしまうのです」
「地下の断層?」
訊き返したアケボシの前で、ラビが、パンと柏手を打ち、空中にホノグラフィを出現させた。
日本列島の姿が浮かびあがり、続いて、地下に走る巨大な断層の亀裂が映し出された。
列島は、ユーラシアプレート、北アメリカプレート、フィリピンプレート、太平洋プレートといった四枚のジグゾーパネルの上に描かれている絵のようだった。
その上、日本海側の新潟県糸魚川市から姫川を遡り、大町、松本、諏訪、釜無川、富士川に沿って太平洋側の静岡市へとぬける『糸魚川−静岡構造線』、または『中央構造線』が、四枚のプレートの接点にあるのだ。
−−フォッサ・マグナだ。
ここで改めて、アケボシは知ることになった。
新潟県にある焼山を北端とした、妙高山、黒姫山、飯縄山、霧ヶ峰、蓼科山、八ヶ岳、茅ヶ岳、そこから甲府盆地、御坂山地に潜り、富士山、愛鷹山、箱根山、天城山、大島、三宅島、八丈島、硫黄諸島へと続く富士火山帯は、本州の中心部をほぼ南北に横切るフォッサ・マグナに沿って存在していたのだ。
「この大断層に異変が起こると、列島は真っ二つ、あるいは、三等分に分断されてしまいます」
ラビの小さな指が、中央構造線をなぞって行った。
「そこでアケボシには、蓬莱山でなにが起こっているのか、確かめて来てほしいのだ」
ことの重大さが判ったアケボシは、自分の勇気には限界があると承知の上で、頷いた。
「いきなり本番だけどな」
すっかり手に馴染んだ砕星刀を見つめて、アケボシが苦笑いしてみせた。
「守護剣を得たのだから、あとは、言霊を与えてやればいい。そうすれば、剣はアケボシの意の儘に、敵を斃す力を得る」
ウネメたちが去ると、鎧を身に着けるために置いた砕星刀を、イセが手ずから取りあげ、アケボシに手渡してくれて言った。
「言霊……」
「そうだ。強く願う心を言葉に託し、発することで、その言葉、つまり『音』には呪力が宿る」
だから、軽々しく呪いの言葉を発してはならないのだ。
富士山は、噴火を繰り返し、幾つもの火山を中にとりこんで出来あがった成層火山である。
一番最後の噴火が、一七〇七年(宝永四年)の噴火で、南東山腹に宝永山ができたが、山容は、美しい円錐形を保っていた。
大原生林、青木が原の樹海が広がっているのは北麓側だが、他の地域の大半は、過酷な自然環境によって植物は育たず、育っても矮性化したものがおおい。つまり、大きく伸びることができないのだ。
一部分は深い樹林でありながら、度重なる噴火で流出した熔岩と、火山礫、砂に覆われて、大部分が、植物も育たない死の世界を思わせる砂礫地帯でもあった。
砂礫は太陽を反射する性質があり、富士山が赤く見える(赤富士)のは、このためとも言われている。
肩にラビを乗せて、アケボシは天浮船を一瞬のうちに空高く飛びあがらせていた。
鬱蒼と樹木が生い茂った、いまや甦った死者の温床でもある樹海が、遠ざかった。
凄い早さで、富士に近づいて行く。
飛んでいるうちに、広葉樹も多く見られた樹海の内部が、ツガ、ヒノキといった針葉樹林に変わってきた。
標高三七七六メートルの富士山の森林限界は、二四〇〇メートルほどだ。
それよりも上は、高山植物も、ほとんど見られない、保水力のない砂礫地帯となっているのだ。
天浮船を駆って、アケボシは頂上に雪を残している富士に、さらに近づいた。
「なんだか、身体が重くなる…」
富士に近づけば近づくほど、身体が後方に引っ張られる気がして、アケボシは、不審なものを感じた。
「信じられません。こんなところまで邪悪な気が強まっているのです」
標高でいえば三〇〇〇メートル級の、八合目辺りにまで近づいた時だった。
「ラビ、あれは、なんだ」
そして二人は、見た。
砂礫の中に、首まで埋められた黄人たちの姿があったのだ。
彼等は、すでに人ではなかった。
形相は、苦しみと、無念と、悲しみに歪められた上に、邪悪を発光させているのだ。
その首が、ある一定の間隔をおいて、横に延々と並んでいた。
「ああ、なんということ…、あれは人間楔です。冥獄界に伝わる呪われた陣型なんです」
富士を、囲むように首が埋められているのだろう。そこから霊山の結界を崩すつもりなのだ。
「首まで埋められた人間の苦痛や、苦しみといった負の念を大地に打ちこみ、吸わせているのです。これが完成すれば、蓬莱山は呪われた人楔によって呪縛されます」
「そうなったら、一気に噴火か?」
「は、はいッ」
悲鳴のように、ラビが叫んだ。
「クソッ」
アケボシは唸りをあげ、一気に天浮船を下降させると、その場に降り立った。
人楔として埋められた人々から洩れる、耳を塞ぎたくなるような苦しみの呻きが、聞こえる。
呪詛を吐きながら、徐々に人の顔でなくなっていく首もあり、じくじくと腐敗しはじめているものもある。
がくりと、アケボシの膝が落ちた。
「アケボシさまッ」
「大丈夫だ。なんだか、身体がだるくてさ、ひょっとして、こういうの、エネルギーの使い過ぎかもな…」
心なしか、砕星刀も輝きを鈍らせているようだ。
「どうする? 休んでもいいか?」
眠ってしまいそうなアケボシを、ラビが力づけるように、促した。
「アケボシ様。もう少し行くと聖地がありますから、そこで休まれれば、大地より力を得られます」
「聖地?」
「はい。この蓬莱山は、外見上はひとつの円錐火山ですが、実は、地下に大きなふたつの火山が眠っているのです。人間界では古富士と、小御岳火山と呼んでいるものです。その交わった地に行けば、はるか太古の神の加護があります。そこへ行きましょう」
実際、富士山に寄生する火山は、六〇あるとも言われる。
「よし、そこへ行ってみるか…」
まだ歩くくらいの力は残っていると思ったが、剣を支えに立ち上ったアケボシは、ふたたびふらついて、大地に手をついていた。
「な…んだ?」
そこへまた、身体に揺曳感を覚えた。
「地震だ…」
不安を感じて視線をあげたアケボシは、先にラビが見つけて、絶句したものを見ることになった。
二人の前方に、まるで鏡に映したように、そっくりな、アケボシが立っていたのだ。
「また、でやがったな……」
肩にラビを乗せ、纏っている鎧紐の結び目も、腰に佩いた砕星刀も、赤みがかった髪もまったく同じだった。
『また、でやがったな』
向こうのアケボシもそう言った。
「なんだ?」
『なんだ』
同じ言葉が返る。
アケボシが、砕星刀を持ちあげ、構えると、向こうのアケボシもまた、腰の砕星刀を抜いて、構えた。
「馬鹿にしやがって」
『ばかにしやがって』
アケボシは、砕星刀の一閃をもうひとりのアケボシに目掛けて放った。
バウッと空気が引き裂かれる音が響いた。
同時に、アケボシは、自分に襲いかかってきた砕星刀の白光を、刃先で弾き躱さなければならなかった。
力は互角。
剣の威力も互角。
だが、アケボシが攻撃を加えなければ、向こうのアケボシも攻撃を加えてこない。
そのことに気づいた時、もうなにもかも投げ出して、アケボシは大地の上に腰を下ろすと、胡座をかいた。
もう一人のアケボシも、同様に胡座をかいた。
「おい、俺に化けててもいいが、お前の本当の名前を名乗れよ」
『おい、おれにばけててもいいが、おまえのほんとうのなまえをなのれよ』
物真似される苛立ちに、ついアケボシは挑戦的な口調になっていたが、先に名乗りをあげた。
「いいか、俺は明星千尋。アケボシチヒロってんだッ」
『−−わしは、』
向かい合ったもう一人のアケボシが、異なった音を発した。
『わしは、言霊の呪力を司り、一言で告げる神。一言主大神である』
「な、なんだって…どうしてここに?」
アケボシは、肩にラビが乗っていることも忘れて、いきなり立ちあがっていた。
『強い言霊を操り、わしを喚ぶ者があるので来たのだ』
一言主大神が姿を顕した理由を告げるのを聴き、アケボシは、千載一遇のチャンスをものにした。
「教えてくれ、『天羽々鷲』のことだ。俺は、そいつが欲しい。そいつはどうやれば手に入るんだ」
『砕星刀では気にいらぬか』
「いや、こいつは気にいってる。しっくりくるしな、手放すつもりなんか無い。でも、俺はどうしても『天羽々鷲』というのが気になるんだ。どんな剣なのか知りたいんだ」
アケボシの姿のままの一言主大神は、指先で、天と地を差し示した。
『なぶさ』
その一言が、すべてだった。
言い終るやいなや、一言主大神の姿は、かき消えていた。
「ま、待てよ……」
アケボシのあげた声は、もはや受け止める者もなく、ただ空しく、あたりに響いただけだった。
それでも諦め切れずにアケボシは一言主大神に向かって呼び続けていたが、自分の声が木霊するだけでしかなかった。
煉獄界に来てから様々な奇跡を起こし、今また、伝説の神をいとも容易く喚び出してしまったアケボシである。驚かされるばかりのラビは、心から感服した様子になった。
「アケボシ様は、なんと強い言魂をお持ちなのでしょう…」
「言魂? 俺のは、単に思い込みが激しいってだけかも知れないぜ、けどな、ラビ、『なぶさ』ってなんだ?」
無駄と判ってようやく、アケボシは大地に座り込むと、傍らのラビに向かって問うてみた。
残念なことには、ラビにも、判らない言葉だった。
「とても旧い言葉だとは思いますけど…」
結局、『なぶさ』の意味が解けなければ、『天羽々鷲』へは行き着かないことになる。アケボシにとっては、謎が増えただけだった。
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