邪神記・第六章
第六章 美環 −ミワ−
はじめて目にするメギドの要塞の邪悪さに、イセも言葉を失って立ち尽くした。
ラビも、息を継ぐことすら忘れたかのようだ。
冥獄界から流れてくる闇に覆われていながら、黄色く発光している巨大な要塞には、すべての壁に、生きた黄人たちが塗り込められていたのだ。
オオオーンと、生け贄となった黄人たちが救いを求めて呻きをあげている。
すでに邪悪と一体化し、イセたちを威嚇し、怒号を放つ者もいる。凄まじいばかりの悲しみ、憎しみ、怒り、無念、苦痛、といった呪いの気に溢ちて、要塞は守られているのだ。
「信じられない…、こんなことが−−…彼等を救うために、カグツチの聖なる炎で、焼き尽くすのだッ」
イセが叫んだと同時に、佐具女の声が響き渡った。
「カグツチ、発動されます」
閃光が、闇の世界を一瞬、浮かびあがらせた。
衝撃が、波動となって天鳥船をも揺らしたが、すべての黄人を浄化させることはできなかった。
そればかりか、カグツチを撃ち込まれて崩れた要塞の一部分が、うねうねと脈動し、再生をはじめていた。
「破壊したところから、内部に突入する」
イセの命じるままに、天鳥船は、要塞内部へ、ほとんど突っ込む形に突入した。
神殿とは、床に巨大な呪法陣が描かれた、広い黒曜石の石室だった。
冥獄界の邪念を召喚し、いずれ、シャクチ復活の儀式を行う場なのだ。
亀裂が入った床下からは、青白い、怪しい光が差している。
「ミワ神ーッ」
飛び込んで来たメギドに、一瞬、ミワは冷たい双眸を向けたが、すぐさま、追って現われたイセたちから守るべく、結界を張った。
「メギドよ、そなたは人間界へ逃れよ」
鋭く冴え渡った声が、メギドを正気づかせようとしている。
「なにをッ」
結界に阻まれたイセが叫んだが、構わずに、ミワは、半ば放心したように床に跪くメギドの、青黒い喉元へ指をかけ、その醜き顔を自分へとうわむかせた。
「メギドよ。いきなりの転送ゆえに、そなたは、まだ未婚の、処女の女の腹に宿るが、自分が何者であるのか、その使命を忘れることはないであろう。われが行くまで、待つがよい」
逃げられると判って、メギドが余裕を取り戻した。
「処女の腹ですか? この俺に、それは、人間界で言うところの、イエスキリストになれとのおぼし召しかな? はは…、そいつはいい…」
ミワとメギドが入っている結界の床に、精神増幅の間にあると同じ八芒星が顕現れていた。
八芒星の先端は、それぞれ四方四隅の方角を差しているのだ。
鬼門の方角に、暗い裂け目が空いていくのが、見えた。
「させるかッ」
イセとアケボシが同時に叫んで、二人で剣を振り下ろした。
ミワの力が、メギドを移動させるのに弱まったすきを突いて、二人の怒りが結界を破った。
急ぎ、メギドが飛び込もうとする。
そこへ、続け様に破光渦を打ち込んだアケボシの攻撃が、襲いかかった。
「ウワーッ」
身体に破光渦をくらったメギドは、つんのめり、開いた暗黒の空間に吸い込まれ、どの時間に落ちたのか、判らなくなったのだ。
「おのれ、われに歯向かうのかッ」
怒りに双眸をつりあげたミワが、二人を睨めつけた。
異世界に連れて来られて、多くの不思議な体験をして、ある意味で無感動になりかかっていたアケボシの心が、揺すぶられた。
怒った顔も、一段と凄味がまして、美しかった。
邪悪で、赦せない存在と判っていても、無視できないものが、ミワにある。
アケボシが感動に呪縛されている時、イセの方は、惑わされることなく、ミワに襲いかかっていた。
「ミワッ、覚悟−ッ」
すかさずミワは飛び退き、壁に触れると、積まれた黒曜石の壁をイセの頭上に崩れ落とさせた。
「クッソー、そんな綺麗な貌してるくせに、やることが汚ねぇぜッ」
腸が煮えくり返るとはこのことだ。だが、怒りを吹きあげたアケボシの、その感情こそが、冥獄界のものには、香しき供物となるのだ。
ミワが、なかば、うっとりとしたように、妖しい双眸を細めてアケボシを見つめた。
「ククク…、そなたの念魂は強いのう、われには、美味なる酒のようじゃ…」
「バ、バカにしやがってッ」
煽られたアケボシの怒りが、なおもミワを陶然とさせて行く。
「アケボシ、ミワは、私が斃す……」
そこへ、崩れた石壁の下から抜け出したイセが、アケボシを退け、ミワの前に立とうとした。
「おい、大丈夫かよ」
「平気だ。アケボシは、さがっていてくれ」
言われるまでもなく、アケボシはミワに対して、抗えないと判ったばかりなのだ。悔しいが、どうしようもなく、歓ばせるばかりの怒りをも鎮めなければならなかった。
「勇ましいことだな、イセ皇子」
ねっとりと、なぶるような声で、ミワはイセを嘲ったかと思うと、右手を天空に向けて、高くかかげた。
「月光よ、われに力を貸せ」
ミワの声がそう言ったと同時に、ラビが、小さく「ああッ」と、叫んだ。
ラビの驚愕をアケボシが問う間もなく、空がバリバリと裂けた音を立て、次の瞬間、ミワの手には、蛇矛と呼ばれる、刃の部分が蛇のようにウネウネとくねった矛が握られていた。
「なにが起こったんだ?」
呆然となり、アケボシが呻いた。
「煉獄界では、月には聖なる蛇が棲むと言い伝えられてますけど、その月が、ミワ様の願いを聞き届けたのです……」
太陽には、三本足の烏が棲み、月は、聖なる蛇、星には鏡が埋まっていると煉獄界では言い伝えられるのだ。
地鳴りが、聞こえた。
それが合図ででもあったかのように、イセとミワの一騎打ちがはじまった。
「なんでだよ、月が、あいつの願いを適えるんだよ」
詰め寄ったアケボシに、いつになくラビは神妙な顔になっていた。
「ミワ様が望まれれば、すべてのものが力を貸すでしょう。月が、蛇矛を授けたように、もし星に望めば星が力を、大地に望めば、大地があの方を助けるのです」
「なんでだッ、星は、俺の味方じゃないのか?」
ラビの言ったことを聞き咎め、アケボシは熱くなった。
「それがミワ様の力なのです。すべてのものを魅了し、従わせてしまう…。攻撃性ではなのに、もっとも恐ろしい力なのです…」
「くそッ」
アケボシの苛立ちを余所に、月の加護をうけているミワは、体格では、ひとまわりも大きいイセを相手に、信じられないほどの剛さを発揮していた。
おされぎみのイセには、悪いことに、焦りが生じている。
憤りのあまり、無駄と判っても飛び出そうとしたアケボシは、この時、去ろうとするミワの足首を、必死の力で腕を伸ばしたスサ−−ヤマトが、掴むのを、見た。
「イセッ、いまだッ」
ハッとわれに返ったイセが、十拳剣を振りあげた。
「この、外道ッ」
振りあげたイセの十拳剣は、ミワの貌半分をかすめて、胸を刺し貫いた。
バラッバラバラと、胸飾りの宝石が、飛び散った。
−−だが、イセの十拳剣もまた、ミワの胸に突き刺さったまま、砕けてしまった。
声もなく、胸を押さえたミワは、床に頽れ、信じられないと、手に付着いた自分の血を見た。
「イセ様ッ、ミワ神と交わるのですッ」
切られた貌にも気づき、衝撃を隠せずにいたミワだったが、咄嗟に、叫んだラビを睨めつけた。
ラビが、必死に声を張りあげる。
「ミワ様は、冥獄界のものとはいえ、神。神と交わることで、イセ様の神聖の力を取り戻すのですッ」
こちらの世界における交合は、互いの力の譲渡でもある。
女は英雄に処女を捧げることを望み、男も、無垢なる肉体と交わることで、魂を清めたいと願うのだ。
「今しかないのです、イセ様ッ、まだ、ミワ様は純潔なのですからッ」
ミワから発せられるラビへ向けての怒りと、−−狼狽が、その場にいる者全員に感じられた。
ラビの言ったことすべてが、正鵠を得ているからだ。
この時、逃げようとしたミワを按えたのは、またもヤマトだった。
瀕死の力で、ミワの両腕を掴み取り、イセのために床へ押し付けたのだ。
最後の最後まで、イセのために力を尽くしたヤマトが、ミワの手首を床に縫い止めたまま、頭を垂れた。
だが、死してなお、掴んだミワの手を放そうとしないのだ。
「ヤマト……」
心を決めたイセは、床に繋がれたかのように仰のかされたミワの足元に立ち、両手を掛け、呪封の役割を持つ衣裳を引き裂いた。
真珠の白さを宿した身体が、露になり、ミワの狼狽が激しくなった。
「ならぬ、イセッ。…あのような、スクナヒコナの言うことなど、信じてはならぬッ」
悲鳴ともとれるミワの叫びが、いっそう、真実を物語っている。
憎しみに燃える、イセが、抵抗するミワの、創ついた頬を殴って、黙らせようとした。
「アッ…」
一瞬、ミワの抗いがやんだが、すぐにまた、威嚇するかにイセを睨めつけた。
「われに、触れてはならぬッ。触れれば、神聖の力を取り戻すどころではないわ、逆に、われらの眷族となろうぞッ」
イセの手が、またもミワを殴っていた。
気が遠くなりかけたのか、ミワが抗えなくなったすきに、イセは、まだ身体にまとわりついている呪布の衣を引き剥ぎ、むき出しになった下肢をかかえた。
「や…やめよッ」
半面を創つけられたが、美しいミワの貌が、ひきつった。
力づくで、抱えた腰を開かせると、イセはあてがった。
「イセッ、イセッ、ならぬッ」
逃れようと必死に下肢をあえがせるミワだったが、有無を言わせずに、イセが、貫いた。
「ヒッ−−ッ」
犯された瞬間、ミワがのけ反って悲鳴をあげた。
ドーン…と、辺りの空気が震えた。
同時に、イセを、眩暈のような快感が襲った。
口唇を噛んで、ミワが頭を左右に振りたくった。
艶やかな髪が、乱れてひろがり、豪奢な耳飾りが、こすれあう度に、きらめく音を立てる。
長い睫に、屈辱ゆえにか、それとも、苦痛がもたらしたのか、涙がからまっている。
ドォオオー…ン。
空気が震えた。
「イセーッ、よくもミワ様をッ」
スサに斬られたウズメが、よろめきながらも立ちあがり、激昂してイセを襲おうとした、まさにその時。
ドォオオー…ン、ドーン、ドーンと、ふたたび辺りを震撼させる轟きが響き渡ったかと思うと、ウズメの回りを、突如、現われた八方の神が取り囲んだ。
「ぎゃあああ…」
取り囲まれたウズメが、絶叫を放ち、硬直したまま石と化し、瞬く間にボロボロと崩れて行った。
「おお、八方守護神ッ、イセ様が召喚されたのです。お力を、取り戻されたのです」
ラビが、歓喜の叫びをあげた。
ウズメを石くれに変えた八方神たちが、ミワと交わるイセの回りを、取り囲んで、立った。
怪しい冥獄界の光を差し込ませている床の亀裂が、静かに閉じはじめた。
魂換されたスサの身体が、ウズメと同じく、石くれと化し、八方神が巻き起こす風に、崩れていった。
間もなく、ミワの身体から離れたイセの前には、黄金色に輝く七枝刀が顕現れた。
「私の呪いはとかれたッ」
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