第七章 ヤマト
鈴が鳴っている。
シャラ、シャラ…と、煌めくような、綺麗な音が響いている。
音が聞こえるのは、鈴を縫いつけている衣裳の裾が、絶え間なく揺らめいているからだ。
裾に見事な刺繍が施され、無数の鈴を縫いとめた、身体の透ける衣裳を纏っているのは、ミワだった。
毛足の長い、斑の毛皮を敷き詰めた石の寝椅子に身を寄り掛からせて、ミワが、自らを慰めているのだ。
雪をも欺くほどの白い膚をしている膝の間に、宝石を象眼した腕輪を嵌めた手が差し入れられ、真紅の長い爪のある指が、しなやかな肉茎を握り締め、こすっている。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
黒曜石の床に先端から滴った蜜液が零れると、それは香しい、白い、小さな花となって、散らばった。
「あ…う…ぁ…ああッ…」
裾の鈴が、激しく響き出した。
艶やかに長い黒髪を振り乱し、ガクガクと腰をはねあげて、ミワが、めくるめく官能の絶頂へと昇りつめていこうとする。−−だが、その寸前で、白い首筋がそって、形のよい頤が上向き、貌がこちらを向いた。
悦楽に濡れた玉虫色の瞳が、じっと、みつめてきた。
見ていたことを知られた気恥ずかしさよりも、悦楽に潤み、求めているミワの姿に欲情を感じ、苦しくなった。
「われを、殺しにきたのだな……」
肩を慄わせ、悲壮な決意が含まれた声が、ミワから発せられた。
「そなたに殺されてもよい、だが、その前に、一度、一度でよい、われを…、われを、愛しいと思うておくれ…、肉体だけでよいのじゃ……」
毛皮の上に投げ出したかのように身体を横たえ、ミワが、纏っているうす物の裾をたくしあげて行く。
自分の膚を見せることで起こる効果を承知しているような仕種だが、視線を外すことができないでいると、さらに奥、まだ昂りを見せているミワのすべてが露になった。
優美な容の付け根に、黄金の輪が嵌め込まれているのが見える。
長く、赤い爪の指先で、自ら扱きながら、ミワが、迫ってきた。
「われは、シャクチ神の男根から生まれ落ちた身ゆえ、誰よりも淫らな性となってしまった…、ああ…、死ぬ前に、一度でよい、誰かにこの身を捧げたいのじゃ……」
縋るように差し出された腕に、つい、伸ばした手を触れさせ、掴んでしまった。
「あぁ…、そなただけが、われの救いじゃ……」
手を握り合い、強く引かれて、ミワの身体にいっそう近づく。
首に腕をからませられ、口唇を求められた時に、毛皮にくるまれた寝椅子の上に、スサの屍が横たわっているのを見た。
ハッとした時にはすでに遅かった。
華奢な身体、細い腕からは信じられないほどの力が、首筋に掛り、ミワの接吻を受け入れさせられていた。
「ウ…ムッ…−」
だが、それは接吻ではなかった。
ミワによって、身体の奥、心の奥にある、魂を引き摺り出されたのだ。
ようやくミワの腕が離れた時には、すでに、身体が、床に倒れていた。
赫い口唇から、青白い魂の尾が炎のように揺らめいている。
笑みを浮かべながら、ミワは、傍らのスサににじり寄ると、口づけを与えた。
やはり、それは接吻ではなく、たったいま、抜き取った魂を、スサの肉体に移し変えたのだ。
移し変えながら、ミワの歯が、スサの舌に噛みつき、捩じって咬み切った。
吐き捨てられた舌が、床に倒れているヤマトの身体に、湿った音を立てて落ちた。
「ホホホホ……」
ミワの高笑いが、いつまでも響き渡っていた−−−…。「うわぁ、ヤマト−−ッ」
自分の叫び声で目が覚めたイセは、現在、自分がいる場所が、人間界の、アケボシのマンションであることをようやく思い出した。
今は、出かけたのか、傍らにラビの姿はなく、叫んで目覚めたところを見られなくてよかったと思いながら、イセは目元を押さえ、すすり泣いた。
人間界に渡ってから、イセたちにとっては時間の経つのが早い気がする。もはや、あっという間に、四か月近くが過ぎて、いつしか、桜の季節も終わっていた。
ヤマトの夢を見るのも、これが初めてではなかった。
失った八部衆の夢や、佐具目や、ウネメたちの夢も、夜ごと見ては、枕を濡らしてきたのだ。
鎮魂の祈りを捧げて数か月が経ち、ようやく、彼等の魂を慰めることができたのか、最近は、悲しい夢を見ることも少なくなっていた。
そこにきて、いきなり、恐ろしい夢を見たのだ。
何者かが、イセの夢に干渉したとしか考えられない。だが、それによって、イセは知ったのだ。
ミワが誘惑し、すきを見せてしまったヤマトは魂を奪われ、スサの亡骸に移し換えられたのだということを……。
スサに魂換えされて生きねばならなかったヤマトを思うと、イセは、悲しみと憐れで、胸が張り裂けそうになってきた。
無骨なほど真面目な男だったヤマトは、ミワの色香に惑わされた己を恥じて、苦しい日々を送っただろう。
いつの日にか、イセと合い見える日がくると判って、その日のために、死よりも屈辱の生を選んだのだろう……。
イセがヤマトにしてやれたことは、自分の手で、殺してやれたことだ。それをヤマトも望んでいたのだと判る。ならばもう一つ、イセがやらなければならないことがあった。
夜具から起きあがったイセは、布にくるみ、枕元に置いた七枝刀を取りあげると、夜半時、部屋から抜け出した。
イセは、床にしどけなく横たわるミワの前へとゆき、七枝刀の先端で、うなだれている形のよい顎を捉え、うわむかせた。
「ミワッ」
低くあるが、鋭い声で名を呼ぶと、深い眠りの底にいたミワが、みじろいだ。
ゆっくりと目覚め、イセを確認して、極端に瞬きが少ない、妖しい、玉虫色の瞳をみひらいた。
「ミワ、訊きたいことがある」
七枝刀の刃先で、喉元を押さえられ、頤をあおのかされたミワが、上目遣いにイセを見た。
人間界に来てから、ほとんど会話することなく、避けあっている二人だった。
イセにはわだかまりがあり、ミワは、犯されたことでイセを恨んでいるのが判るからだ。
「スサにヤマトの魂を入れたのならば、ヤマトの身体はどこにあるのだ?」
夢に見たヤマトは、口移しで魂を抜き取られ、床に放り出されていた。
紅を差している訳でもないのに、赫く、濡れたような光沢を放つ口唇の中には、尖った獣のような歯牙がある。その牙が、ヤマトとなったスサの舌を噛み切ったのだ。
イセの視線に挑むように、ミワが、睨んだ。
「ヤマトの身体など、もはやない」
冷たい声が返ってきた。
「ない? どこかに始末したはずだ。どこへやった?」
「そのようなこと、もはや憶えておらぬ。捨てたのはウズメ、知りたくば、ウズメに訊くがよい」
すでに死んだウズメに聴けと、言ってのけるミワに対し、イセは憤り、力任せに頬を打ち据えていた。
勢いでミワが倒れ込んだ時、乱れたローブの裾からのぞいた脚を見て、イセは、気がついた。
八方守護神に取り囲まれたウズメの肉体が、石くれと化したように、スサも石となったように、いま、ミワの足先もまた、灰色に変りかけていたのだ。
ミワは素早く隠したが、イセはすべてを見ていた。
「八方神に封じられた冥獄界の物の末路が、これか? ほうっておいても、お前は、やがてウズメたちのように、石化し、崩れて行くのだな?」
答えずに、ミワは、イセから視線を逸らした。
「憐れなものだ、……だが、心さえ入れ替えれば、私とて情けを掛けぬわけではない。さあ、ヤマトをどこにやったのだ?」
「知らぬ」
「言え、言わせてみせるぞ」
もう一度腕を振りあげて、脅すが、ミワは、屈しなかった。
ミワは、歯向かう眼で、イセを睨みかえし、自嘲的な、それでいて、深く傷付き、恨みのこもった声をあげた。
「また、われと交媾うてみるか、イセ、ならば、捜す力を授けてくれようぞ」
「黙れッ、汚らわしい」
床から立ちあがることのできないミワを、憤怒の勢いでイセがまたも力任せに打ち据えた。
突っ伏したところへ、背後から覆い被さり、纏っている薄もののローブを引き裂いてしまう。
ずりあがって逃れようとしたミワを押さえ付け、
「お前には、これで充分だ」
言うなり、持ちかえた七枝刀の柄をあてがって、捩じり込んだのだ。
「ア−−ッ」
握りどめにもなる柄頭の、その膨らんだ丸い部分を力づくで押し込まれ、ミワは、呻く声すら失い、床に爪を立てた。
「思い出せ、ヤマトをどこにやった…」
なおも押し込みながら、イセが問うた。
「く……ウウ……」
柄頭が柔肉の襞を割って潜り込むと、握りやすくするために溝を刻れた柄の部分を、ズッ…と、押し入れた。
「うう……う−−…」
頭を振るミワに、イセが、剣のエネルギーをはなった。
「ヒッ−−…」
太陽のごとく灼けつく霊光を、身体の内部ではなたれたミワは、ビクッと下肢を喘がせ、悲鳴をあげた。
「や…や…めよ…」
もう一撃、イセが、七枝刀を解き放つ。
「ギャ…」
下肢を跳ねあがらせたミワは、床に崩れ、さすがに、抗う力を失った。
「言えッ」
「ウ…ゥウ…、知らぬ…、ウ…ズメが、時空に捨てたのじゃ…」
「冥獄界との時空か、それとも人間界の時空かッ」
またイセが光撃を加えようとしているのが判って、ミワが、喉を喘がせた。
「ハァ、ハァ…、ぅう…、判らぬわ、われにも……、ただ、運命は、輪なのだ、イセ…、そなたが願う以上、いずれ、ヤマトに出会うであろう…」
「会えるのか? 私は、ヤマトの亡骸を見つけられるのか?」
「…ウズメならば…、無駄なことはせぬ、そなたのヤマトを……もっとも、そなたが苦しむ方法で、始末したであろう…、会わぬ方が…よ…いのじゃ……それは、もはや、ヤマトであって、ヤマトではない……、スサであって、スサでなかったようにな…」
「貴様が、そうさせたんだッ」
憤りのあまり、イセが、三度、七枝刀の霊光をミワの体内で解き放った。
「ギャァ…ウ…」
ミワが、するどく、獣のように絶叫した。