オフィス街の近くにある緑化計画公園に建っている男性像は七体あり、すべてが全裸像だった。
殺された男は、もっとも外れにある男性像の台座に寄り掛かっていた。
最初は、公園で寝泊りしている浮浪者か、酔っ払いが眠っているのだろうと思われ、放っておかれた。
日中の公園利用者である母子連れや、きちんとした家庭で育てられた子供達は、そういうものには近づかないのだ。
結果として通報が遅れ、市警察本部に第一報が入ったのが、午後四時すぎという最悪の時間だった。
殺された男の着衣は乱れていなかった。
しかし、失禁したように股間のまわりを、ぐっしょりと血で濡らしていた。
前盾のファスナーを下ろして察る必要もなかった。
被害者は、殺されたうえに、男性器を切り取られていることは、判っていた。
「これで三人目だ」
現場に到着し、一目で状況を把握した殺人課係長のジム・ウィルスキー警部補は、近づいてきた同じく殺人課のバート・トウィリー刑事に告げ、続けざまに、「スタンレーはどうした?、スタンレー・ホーク刑事は、どこにいっているんだ?」と、スタンレーの相棒でもある彼の答えを待った。
バートは、褐色の肉体を誇るアフリカン・アメリカンで、優秀な刑事だったのだが、スタンレー・ホークとコンビを組んでからの評判は、いまひとつ芳しくない。
「まさか、来ていないんじゃないだろうな?」
「スタンレーなら、野次馬を整理してますけど」
実際、野次馬を掻き分けてスタンレー・ホークの黒っぽい金髪が見えたのにバートはホッとしながら、答えた。
勤務時間内は、必ず二人で行動せよという規則を破っていると、−−うすうす感づかれてはいても、実証したくはなかったのだ。
「そんなことは、制服警官に任せておけッ」とは言うものの、ジム・ウィルスキーは、
スタンレーの動物的な直感というやつには、多少なりとも一目置いていたので、これ以上は言わなかった。
スタンレー・ホークは、犯行現場の野次馬に紛れている犯人を感知することに、少しばかり才能をもっていたのだ。
それは単に、記憶力が抜群なために、一度に大勢の野次馬の顔を憶えていられる。故に、次に同じ顔を見た時に、ピンとくるといった程度のものだったが、連続して起こる殺人事件の捜査では、何度か役に立った。
だが、ジム・ウィルスキー警部補は、部下であり、バージルシティ市警察きっての不良刑事スタンレー・ホークのお陰で、昇進を逃しているのだ。
今日のスタンレーは、何時ものジーンズと、黒のニット・シャツの上に、肩から吊っている拳銃のホルスターを隠すためゴワゴワの黒いブルゾンを着ていた。
彼は、とても刑事には見えないくらい凶悪で、取り柄といえば少しばかり見てくれが良いことだった。
「遅いぜ、スタンレー…」
普段でも歌っているような調子のバートが、右手を挙げた格好のまま、自分よりもずっと背の高いスタンレー・ホークを見あげて、言った。
二人は共に三十三才になっていて、コンビを組んで四年目だった。
挙げられたバートの褐色の手を、挨拶がわりにバシッと自分の掌で叩いてから、「ヤボ用でな。…で?」と、スタンレーは殺された男の方に顎をしゃくった。
「前の二件と同じだ」
別の塑像に寄り掛かったバートは、自分の股間に痛みが走ったかのように、顔をしかめてみせた。
「殺してから、アレをちょんぎって、犯人が持ち帰ってる」
まだ殺された男達の男性器が切り取られて、犯人に持ち去られていることは公にされていない。
公園にいる野良犬かカラスが、切断され、放置された肉片を持っていったという説もなくなってはいなかったが、見事な切り口に、犯人の目的がその部分の所有にあるのではないかと思わせるものがあった。
加害者も被害者も、ホモセクシャルの男だろうという見当がついていた。
目撃していたのは、男性像だけだった。
「野次馬が多いな…」
そう言いながら、スタンレーは、遠巻きにしている興味本位の市民のほうではなく、死体の回りにいる市警察のお偉方のほうを見ていた。
何時もならば犯罪現場に出て来ない階級の人間たちがいたからだ。
彼等に、赤毛のフランク・サイト警部補が説明していた。
フランクが仕切っているのならば、間違いなかった。
彼は、おっとりとして純朴そうな青年だが、誰よりも気配りが上手で、上司の覚えもめでたく、部下にも頼られている希な男なのだ。
密かにスタンレーは、フランクのことを、ボーイと呼んでいる。もちろん、階級で言えば、フランクの方が、上だった。
現場では厳禁の煙草を喫いたくて、スタンレーがその場を離れようとした時だった。
「スタンレー刑事、目撃者がお会いしたいと言ってるんですが…」
配置されていた制服警官の一人が、走ってきて、そう、言った。
「目撃者がいるのか?」
反射的に警官が歩いて来た方向へとスタンレーの身体が動いていた。もちろん、バートも一緒について来た。
「それが、目撃といっても、犯行当時のものではないらしいんです」
「じゃ、なにを見たっていうんだ?」
自分が叱られているかのような気分になって、制服警官の歯切れが悪くなった。
「それが、その…、彼らの話では、数日前の早朝に、被害者が殺された彫像の前に立っている不審な男を見たということなんです」
不審な男を目撃したという老夫婦は、二週間ほど前の早朝に、男が殺された彫像の足元に佇んでいる金髪の男を見たと言いはじめた。
「男の特徴は?」
口調から、スタンレーが苛立っているのは判ったので、先の制服警官が老人の話を元に戻させようと間に割って入った。
「確か、金髪の男だったんだね?」
しばしの間があって、老人は、警官の言葉を修正させた。
「わしは、はっきり金髪とは言っとらんよ。金髪がかっていたとは言ったが……」
この調子で、すべてが曖昧になっていくのかも知れない。
「うん、それで?、年齢は幾つくらいに見えたんです?」
「そうじゃな、はっきり顔を見た訳じゃないが、三十くらいってところだったな」
確認をとるように、老人は妻に向かって、「な? フローレンス?」と言った。
老女が相槌を打つのを横目に、今度は、立て板に水を流すがごとくに喋りはじめた。
「痩せて、背が高かったな。六フィートくらいはあったよ。像の胸の辺りに頭があったからな、そうそう、やっぱり髪の毛は金色で、全体を後ろに撫でつけてたな、あれは、きっといい整髪剤を使ってる証拠だよ。嫌な臭いのしないやつだ。青白くて死人みたいな肌の色だったけども、貌立ちは整っていたな、見てくれのいい方じゃった。それに指に透明なマニキュアをしとるのが判ったよ」
老人は、かすかに嫌悪を滲ませて、「ゲイかもしれない」と、続けた。
「その男は、泣いてたみたいだった」
最後に一言、老人がつけ加えた。
「泣いていた?なんでまた…」
「そんなこたぁ、わしらに判るはずないじゃろ、あんたら警察が調べることだ」
「わかった。参考になったよ」
突き放して、スタンレーがおざなりな礼を口にした。バートが追って来て、
「面白かったな」と、言った。
「なにが面白いんだ?、第一肝心な事柄はなにも判らなかったんだぜ。単にあのジィさんは、二週間前にゲイの男を見たってだけさ」
取り出したキャメルに火を点け、急いで肺の中を煙で満たしたスタンレーは、軽い禁断症状が解けて、指先にまで心地好い痺れが走るのを楽しんだ。
「犯人が、下見してたのかもしれないぜ」
風上からバートが口をはさんだ。
「下見して、殺す奴のために泣くのか?」
「なあ、スタンレー。ひとつだけ、俺が思ったことを言っていいか?」
老人たちの証言を取り合わないスタンレーに対して、だがバートの方は、言ってみるだけは自由だと思ったようだった。
「なんだよ、変な言い方して…」
「さっきの男の話だけどな、ジイさんの言ってる特徴に当てはまるヤツを、俺は知ってるぜ」
「誰なんだ?」
スタンレーの眼付きが変わったのとは裏腹に、バートの方は、言おうとした自分を後悔しはじめていた。
「気がつかないお前の神経を疑うぜ」
「言えよ、誰なんだ?」
焦らすだけ、スタンレーの怒りを買うということが判って、あっさり、バートが告げた。
「我が市警察の内部管理課長アリスター・ロスフィールド警視だ」
バートの答えを聞くや否や、「はッ…」と、スタンレーが鼻先で笑った。
「どうせ、マニキュアしてる男なんて、奴くらいしか思い浮かばないんだろう、バート。だがな、知ってるか?いまあそこに来てるジム・ウィルスキーも塗ってるのを見たことあるぜ」
ゲゲ…と、バートが喉から奇妙な音を出した。
続くバートの憎まれ口を、スタンレーは聞いていなかった。
ふと彼は、アリスター・ロスフィールドに呼び出されていたことを思い出したのだ。バージルシティ警察殺人課オフィスは、だだっぴろい縦長のワンフロアで、廊下に面してドアが四枚もあることから、少なくとも四つの部屋をぶち抜いて造られたのだと判る。
そのうえに、どのドアを開けても、一瞬でオフィスの中に存在する住宅事情を知ることができた。
「スンタレー刑事」
中性的な、むしろ美しい声が、ゆったりとスタンレーの名を呼んだ。
この声が曲者なのだと、判っていた。
この声に、魅せられる者もいる。不思議なことに、男でも、女でもだ。
だが、声の主、内部管理課長アリスター・ロスフィールド警視は、生易しい男ではなかった。
少なくともスタンレーの方が三、四才は年上のはずだが、階級や身嗜みはもとより、落ち着きひとつとっても、立場は逆転していた。
「君は、今年に入ってからすでに七通の始末書と、四通の身上書、それから五通の公共物破損に対する損害賠償の書類を提出している。その優秀な頭脳で、合計何通の不始末をしでかしているのか、答えたまえ」
声が、金属的な響きを含んできている。ロスフィールドが内的衝動を抑えている証拠だった。
「すくなくとも、二十一件…」
いささか不貞腐れた声で、スタンレーは答えを返した。
アリスター・ロスフィールドの、美しい形の眉が寄せられた。
逆に、口唇の端は微笑む形に持ちあがっていた。
「さすがはスタンレー刑事だ。始末書が提出されていない不始末の件数まで、きちんと把握していてくれるとは、上司として、この上もなく嬉しいよ」
持ってまわった嫌味な言い方が、このエリート警視の癖だった。
多分、ロスフィールド一族が、何代にも渡って美男美女ばかりを交配させた結果、良いところばかりを受け継いで完成したのがアリスター・ロスフィールドなのだ。
驚くほど美しい貌をしているのに、悪魔のように意地が悪いときている。
そこへ軽くノックの音がして、童顔のフランシス・サイト警部が市配給の安物のカップに淹れた飲み物を二つ運んできた。
午後になっても眠気のとれないスタンレーの頭には、コーヒーの香りだけでも欲しいのだが、この部屋の中で、コーヒーを飲む者はいないのだ。
ついでに、煙草を喫む者もいなく、泥靴で入ってくる者もいない。
「紅茶ならけっこう、俺の用事はすぐに終わる」
「緑茶ですよ」
童顔のフランク。彼は、スタンレーの無知を嘲りはしなかったが、聞かなかったことにもしてはくれず、訂正をいれた。
フランクは、アリスター・ロスフィールド警視の補佐でもあった。
ロスフィールドが現場へ行かなので、かわりに出掛けて行くのだ。
おまけに、ロスフィールドのグリーンティにミルクを注ぐ名誉も与えられているのだろう。だが、グリーンティにミルクが必要なのか、スタンレーは知らなかった。
知らなくてもよかった。どのみちスタンレー・ホークは、この部屋には異分子なのだ。
隣の部屋にフランクが消えてしまうと、ロスフィールドは腰掛けている机の一番下の抽出しから書類を取り出した。
身体を傾げた拍子に、机の縁を掴んだ左手の五本の指をスタンレーは見逃さなかった。ほっそりとして長い指の、先端を整えた爪には透明なマニキュアが塗ってあった。
態勢を整えた時に、ロスフィールドは、スタンレーが自分のなにを見ていたのかを知った。スタンレーもまた、ロスフィールドに気づかれたことを知ったが、お互いに、そのことについて話すつもりはなかった。
ペーパークリップで留められた書類を片手に、ロスフィールドは改めてスタンレーに向かいなおった。
もう、彼の口唇には、作り笑いすら刻まれていなかった。
「急いでいるようだから、用件は早めに済ませよう、スタンレー・ホーク巡査部長。これから二か月の間、君は一週間に一度、ジン・ミサオのカウンセリングを受けたまえ」
日本人の精神科医であるジン・ミサオのクリニックは、市警察庁舎と隣接する建物の中に入っている。***
殺人があった公園は、一昼夜明けて、そんな形相は微塵も感じられなくなっていた。
犯人は犯行現場に戻るという−−。
それは、自分の手際をみたいのだ。自分が記した破壊の痕跡を楽しみたいのだ。
近づいて行くうちに、スタンレーは、離れた道ぞいに停めてあるロスフィールドの黒いメルセデスに気がついた。
離れた場所に車を止めてから、スタンレーは靴が木の枝や、砂利を踏んで音を立てないよう気を使いながら、まだ立ち入り禁止になっている公園の中へと入っていった。
公園の中に立ち並ぶ塑像には、人間が立っているかのような錯覚を感じさせられることがある。気持ちのいいものではないのだが、それが、隠れ蓑になった。
スタンレーは、ロスフィールドがいると思われる場所、あの四人目の被害者が横たわっていた塑像の場所へと、忍者のように辿り着くことが出来たのだ。
案の定、アリスター・ロスフィールドはその場に居た。
そればかりか、被害者が殺されて横たわっていた塑像に手をついて寄り掛かり、肩を顫わせているのだ。
なにか喋っているのが判った。
だがすすり泣きにも聞こえて、言葉の意味は理解できない。
出て行き、ロスフィールドを締めあげて、なにをしているのか問い質したい衝動がスタンレーを突きあげて来た。
なにをしているのか。
あるいは、なにを知っているのか?。
あきらかにロスフィールドは、いま、泣いている様子だった。
何故、泣くのか。
誰のために……。
苛つくような長い時間が過ぎた。
気の済むまで泣いたのか、アリスター・ロスフィールドは、よろめくように後退ると、自分の車へと戻って行った。
スタンレーもまた、自分の車へと戻り、ロスフィールドのメルセデスを追った。
四十分ほど走って、ロスフィールドの車は、郊外にある閑静な高級住宅街へと入って行った。
間もなく、メルセデスのドアが開き、ロスフィールドが鱗模様の敷石の上に降り立った。
今は上着を脱いでいるので、白いシャツとズボン姿で、細いウエストが眼についた。
だが、ふっと、スタンレーの視線に気づいたのかロスフィールドは振り返った。
闇の中に、彼の銜えている煙草の火が、蛍のようにボウッと光った。
尾行するのにライトを消して走ってきたスタンレーにとっては、ポーチに灯された小さな明りでも、なにもかもがよく見えた。
アリスター・ロスフィールドは、何かを考えている様子で車に寄り掛かると、旨そうに、煙草を喫って、ゆっくりと吐き出す仕種を繰り返していた。
なにかの余韻を噛み締めているかのようだ。
それからロスフィールドは、銜え煙草で屋敷の方へと歩いて行く途中で、煙草を捨て、靴先でもみ消すと吸い殻をそのままに、ポーチへと続く階段を上がって行った。
煙草は喫わないと思っていたが、銜え煙草で振り返ったロスフィールドの姿は格好がついていて、別人のようだった。
玄関先の階段を上り切ったところでまた、ロスフィールドは背後が気になるのか振り返った。
彼の放っているピリピリとしたものが、闇の中を真っ直ぐに走ってきた。
気取られる心配のない場所と距離にいながらも、スタンレーは息を止めた。
数瞬の間、ロスフィールドは、闇の中に蠢くものがないかを探っていたようだったが、気が済んだのか、玄関に通じるドアを開けた。
ほとんど同時に、家の中の電灯が点った。
ドアロック解除とともに自動点消になっているのかと思ったが、家の中にいる誰かが灯を点けたのだと、すぐに判った。
観音開きになっている玄関の扉にはめ込まれているガラスに、二人のシルエットが映ったからだ。
抱き合う男達の姿が、影絵のように見えたのだ。
「犯人はホモセクシャル…」
スタンレーは、ようやく息継ぎを許された泳者のように、鼻と、口から大きく息を吸った。
いくつもの怒りがスタンレーの裡で積み重なって、ついに堪え難くなった。
「あの、仮面野郎めッ」
アリスター・ロスフィールドには、もうひとつの顔が存在する。***
自分の拳銃と、スタンレーから奪った拳銃をテーブルに置いたロスフィールドが、衣擦れの音をさせながら戻ってきた。
彼の手には、そりのある、長い、芸術的なナイフが握られていて、天井から下がったシャンデリアの輝きを受けて不吉に光っていた。
今のアリスター・ロスフィールドは、相変わらず美しいが、どこか歪んでいた。
陶器のようにひんやりとした肌をしているが、なにか熱を発散していた。
だが、着物の前が開いてむき出しになっている肉体は、眩暈がするほど素晴らしかった。
スタンレーの眼の中をよぎった感情を察したのか、ロスフィールドが形のよい口唇をつりあげて笑った。
日ごろの彼は、そんな笑い方はしない。
「お前は、俺とやりたいんだろう?」
そして声音が、−−ロスフィールドのものではなかった。
始めて、スタンレーはゾクリッとした。
ロスフィールドは、手にしているナイフの先でスタンレーの口唇に触れてひらかせ、さらには、噛み縛った歯の間に刃先を差し込んで、無理やりに口をあけさせた。
「舐めろ…」
開き切った着物の前から惜しげもなくさらけ出している肉体を、スタンレーへと突きつけてきた。
ナイフの先が舌に当たって、口腔の中にひりっと鉄錆に似た味が広がった。
これ以上口の中を切らないうちに、スタンレーは自分から口を開いた。
「お前を、俺の小猫ちゃんにしてやるよ」
上目遣いになりながら、舌先で巻き込むようにして、スタンレーはロスフィールドを受け入れた。
こんなに酷い目に遭わされてスタンレー・ホークともあろう男が黙っていられるはずがなかった。
それが、口腔に心地好い重みが加わった時に、思いがけない恍惚感に襲われ、スタンレーは怒りを見失った。
「噛むな、そんなことしたら、お前の頚動脈を切ってやる」
ナイフの冷たい感触が喉元をすべり、スタンレーは我に返った。
高貴な美貌に、洗練された優雅な雰囲気を身に付けていたロスフィールドが、いまは、傲慢な恥知らずになっていた。
彼はスタンレーに自分の男を与え、自分の一番敏感なところを舐めさせていた。
快楽に、眉根を切なげに寄せているのが、スタンレーの眼にも見えた。
次にロスフィールドは、喋り続けた。
聞くに耐えないようなことも口にした。
でもそれは、アリスター・ロスフィールドの声ではなかった。
正確に、スタンレーの頚動脈の位置にはナイフの刃が当たっている。
ロスフィールドが、逐精の瞬間に喉を切り裂くつもりなんだと、スタンレーには判っていた。
判っているのに、−−殺されることが判っているのに、回避できない。人間として、これほどの苦痛は、無いのだ。
口唇を開いて、ロスフィールドが双眸を閉じた。
上体をそらせぎみにして、自分から揺すっていた腰の動きも早くなった。
−−瞬間が迫っていた。
道連れにしてやる。スタンレーの裡にある不屈の精神が、咥えさせられているロスフィールドを噛み千切ろうとした時だった。
「アリスティアッ」
するどいジン・ミサオの声がして、一瞬のうちに、スタンレーはナイフの脅威から、そして口腔に含まされていたロスフィールドから解放されていた。
眼の前で、ジン・ミサオとロスフィールドがもみ合っていた。
ナイフを持っているロスフィールドの手首を、ジンが掴んで、押さえていた。
「ジンッ、そいつが犯人だッ」
スタンレーが叫んだ。
「そうじゃないっ」
叫び返したジンが、押さえ込んでいたロスフィールドの手首をナイフごと握り返したかと思うと、あろうことか、自分の身体を傷つけさせた。
ナイフの刃先が、ジンの着ているシャツを切って、彼の肌を斬りつけたのが、出血で判った。
「ジン、なにをしてるッ、バカ野郎、なにしてんだッ」
怒鳴っているスタンレーを無視して、さらにジン・ミサオは、アリスター・ロスフィールドに自分の胸の一部を創つけさせた。
「アリスティア…、僕だよ、ジンだ。判るね?、アリスティアッ」
「血……」
双眸を瞠いたロスフィールドが、血の赤色を見て、ハッと身を引いた。
同時に、ジンを創つけていたナイフの刃先も離れ、それは、床に落ちて、ヴィクトリア調のみごとな絨毯に染みを着けた。
ロスフィールドが、ガタガタと慄えはじめていた。
その彼を抱いて、頬に、ジンは口付けした。
右の頬と、左の頬、それから、下唇をかるく啄んで、さらに深く口唇と口唇を噛み合わせた。
なんどか繰り返しているうちに、ロスフィールドが応えて、ジンの身体に腕を回すのが判った。
やがて二人の身体は床に崩れて、絨毯の上で、交尾する雄雌の蛇のように絡み合った。そこには、ジンに欲情しているロスフィールドの艶めかしい姿があった。
「アリスティア、…アリスティア…」
ジンが、ロスフィールドの名を呼んだ。
スタンレーの裡に、苦みが甦ってきた。
少し前までロスフィールドは、スタンレーを必要としていた。
スタンレーは、命までも、ロスフィールドのものだったというのに…。
続きは、買って読んでね〜。