![]()
山藍紫姫子 やまあいしきこ |
- 1980年
- 作家の 森岡由宇子先生が主催するN大学漫画同好会に誘われたことからやおい系同人誌の存在を知り、こんないけないこと考えていたのは私だけじゃないと安心して、道を踏み外す。
- しかし、小心者ゆえに、県内、隣県には通販しないなど、ひっそりと活動する。
- 1987年
- J誌のS編集長から、なぜか、J誌ではなく同社で出している官能誌の原稿依頼を受ける。 やおい書いていいからといわれて(だったらなぜにJ本誌じゃない?)引き受けるが、山藍紫姫子のペンネームはあまりにSM的すぎる(!?)ということで、 橘小夜子という別ネームを使う。その後、J誌からも依頼がきて、 橘紫乃の名前を使って書くが、原稿は出来が悪かったためか(?)同誌掲載中の小説道場送りになる。
- 官能誌は引き続き書くということになっていたが、直後に結婚、妊娠、長男が生後8ヶ月で小児喘息の発作を起こすようになったために、締め切りのある仕事は受けられなくなり、育児の合間に同人誌を出し続けるのみとなる。
- 1991年
![]()
- 10月。ようやく長男も保育園へ入園が決まる。そろそろ何か仕事でもしようかなと思う。この時は、以前アルバイトしたことのある花屋さんへ行こうと思っていた。
- そんなおり、一枚の原稿依頼FAXが届き、白夜書房から創刊されるイマージュに原稿を書くことになる。
- 引き受けた理由はテーマが鬼畜兄弟愛だったから……(てへ)
- ところが途中でテーマがホラーに変更になり、慌てて書き直すなんてことになるが、引き続ききた依頼が、昔出した同人誌を再録したいというもの。
- 最初は抵抗があり断ったが、結局、1992年2月に「瑾こん花」がでる。
- 出版社がつけたヘッドコピーは、『伝説の耽美作家 山藍紫姫子』というものだったので、死んだのかと、問い合わせがきた…。
- 1998年
- 現在も同人誌はやめられない。
- イベントには、オリジナルサークルとして山藍紫姫子個人誌企画、ワルキューレの名前で参加し、パロディの時は、バィオレットマーキュリーの名前でスペースを取っている。パロディは最近、ガッチャマン、アンジェリーク、幽遊白書、スレイヤーズと節操ないが、煩悩の赴くままに本を創ってしまう。